日本社会 Japanese society 2005 10 2
日経平均株価は、バブル崩壊後の安値7607円から、
今年9月30日には、13678円まで回復しました。
「これで、日本経済は安心だ」と安堵する声が聞こえますが、
何か、おかしい、何か、素直に喜べないものを感じます。
確かに、経済危機は脱却しましたが、
その代わり、「日本社会の良さ」や「日本精神」を失ったと言えませんか。
経済危機を脱却した後には、日本精神が消え、拝金主義が広がっていた。
日本経済は復活したが、日本社会は消えつつあるかもしれません。
かつて、日本は、そして日本人は、
極めて精神性の高い国、あるいは極めて精神性の高い民族として、
諸外国に紹介されていた時もあるのです。
ノブレス・オブリージュ noblesse oblige 2005 3 16
「ノブレス・オブリージュ」とは、フランス語で、
「高い身分に伴う義務」と訳されます。
これは、権力を得て、富も享受できる者にとっての最高の名誉とは、
社会の発展のために、私財を投ずることであるという意味に近いかもしれません。
これが、「本当の貴族」です。
なぜ、この言葉を思いついたのか。
それは、週末に、世相を知るために、テレビを見たり、雑誌を見て、そう思ったのです。
テレビや雑誌には、リッチな生活とか、セレブとか、
まるで貴族にあこがれているような特集が目立ちます。
しかし、「貴族」と「拝金主義者」は、違います。
ノブレス・オブリージュがあってこそ、貴族と言えるのです。
ノブレス・オブリージュがない人たちは、単なる拝金主義者です。
知人から、こんな話を聞きました。
あるオーケストラの楽団員は、楽団から支給される給料では食べていけず、
音楽とは、とうてい関係のない分野のアルバイトで、日々の生活の糧を得ているそうです。
かつて、日本は、そして日本人は、
極めて精神性の高い国、あるいは極めて精神性の高い民族として、
諸外国に紹介されていた時もあるのです。
今の日本は、そして日本人は、
拝金主義の国家、あるいは拝金主義者になってしまったのか。
アメリカには、カーネギーという人がいました。
「信託基金を設け、図書館、大学、研究所などを設ける。」
こういう人が、アメリカ発展の基礎を作ったのです。
カーネギーは、立身出世の典型的なヒーローでしょうが、
同時に、カーネギーには、キリスト教精神が生きていたと思います。
さて、資本主義から、キリスト教精神が抜け落ちると、どうなるか。
それは、お金の「収奪システム」となります。
キリスト教精神のない資本主義は、お金の「収奪システム」に過ぎないのです。